東京地方裁判所 昭和44年(ワ)5449号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕一 事故
<証拠>によれば、本件バスは東京駅丸の内南口停留所の乗降車場の約二五メートル手前で東京急行のバスの脇に一時停車し、右バス運転者からの合図で、ほどなく乗客等になんらの警告合図もすることなく、再び低速で発車して乗降車場に至つたこと、右一時停車の際、車掌古内(現姓高野)は本件バスから降り、同車掌が本件バスに戻る以前に、乗降口の扉が開いた状態で、本件バスは進行をはじめたこと、当時雨天でバスの床は濡れており、原告は和服、雨コート、駒下駄の服装であつたこと、原告が右発進時に仰向けに転倒し、腰部、背面を本件バスの床面に強打したことが認められる。<中略>
以上の事実に基づいて考える。本件事故が本件バスの運行によるもの、そして、本件バス運転者が被告交通局の運転取扱心得(原告引用の定めは乗客の安全のために必要な事項を定めている)に違反し漫然バスを発進させた結果といわなければならず、本件事故発生に関し同運転者の運行上の過失は否定できないから、本件バスの運行供用者である被告は自賠法三条に基いて本件事故により原告に生じた損害を賠償する責任がある。ところで、被告は過失相殺を主張するが、右主張は理由がない。すなわち、本件事故当時、車掌が本件バスを離れ、乗降口は開扉されていたばかりでなく前掲バス停留所(終点)におけるバスの運行操作が原告主張のように行われていたのであるから、乗客である原告が正規の停留所の降車場と同様に考え、バスが発進する際のことをおもんばかることなく行動するのは当然であり、予告もない発進の結果につき乗客である原告に落度があつたということはできない。(事故発生当時本件バスの床が濡れていて、そのうえ、原告の服装が前記のとおりであつたことも右結論を左右するような事情ではない。)
二 受傷
原告主張三の(一)(二)の事実は当事者間に争がない。
<証拠>によれば、原告は、明治三五年生で、事故前健康であつたところ、事故当日以降自宅で療養し、事故当夜から激痛に見舞われ、一週間ばかりは寝床に就いたままの状態であつたこと、その後同年六月中旬頃まで自宅において安静につとめ、その頃苦痛も概ね和いだこと、その後同年一〇月頃足のしびれを感ずるに至つたが、その頃気管支炎を患い、かつ、喉頭癌の疑いがあるとの診断もあり、その治療に重点がおかれて月日が経過したこと、しかし、なお、足のしびれが増悪し、腰部等に鈍痛を感ずるに至つたため、原告主張三(三)のとおり診断を受けたこと、昭和四二年夏頃には右自覚症状は概ね消失し時々背部が痛む程度であること、以上の諸症状(気管支、喉頭の分を除く)は、いずれも本件事故によつて受けた背、腰部への強い打撃によるものであることが認められる。
本件事故による外傷と胸椎圧迫骨折及び前記のとおり持続した症状との因果関係につき、証人兼鑑定人黒木良克の供述を基礎として、詳論すれば、一般的にいえば、前記の胸椎圧迫骨折及び骨粗鬆症(昭和大学病院受診時の診断)は、女子の更年期におけるホルモン支配の変化と関係がないわけではなく、原告についてもこの影響がないとはにわかにいいきれないところであるが、さらに考えると、原告はもともと内科的に著明な疾患がなく、同大学病院受診時にも血液像その他特段の所見が見出されていないことや原告の前記自覚症状の推移が胸椎圧迫骨折の例と照応するものといえることからみて、骨粗鬆症は外傷後の萎縮症状であつて、右圧迫骨折は本件事故による衝撃に基因するものとみるのが相当である。<証拠>によれば、医師宮下瑛は、大森赤十字病院における前記診療当時、第一二胸椎から第四腰椎部に圧痛を認めながら、附近脊椎にレントゲン撮影所見として軽度の変形性脊椎症を認めたに過ぎないことも証人兼鑑定人黒木良克の供述に徴し、前記認定を左右しない。
原告は、本件事故による受傷の結果、保育園開設を断念せざるを得なくなつた旨主張するけれども、この因果関係はこれを認めことができない(原告の主張する右開設準備遂行の時期からみてもむしろ前記気管支炎、喉頭癌の疑いの診断等の影響とみるのがより妥当である。)。
(高山晨)